#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

静かな怒り

東区香椎の交差点にほど近く、ある小さな教会の入り口に、標語と言っていいのかわからないけど掲げられていた言葉が心に残った。通りすがりでほんの一瞬、目に留まった。

「サービス労働への怒り」

そのサービス労働の意味するところを知らない、あるいは感じない若者も多いのかもしれない。そのむかしの家に持ち帰る風呂敷残業や、職場に居残ってさまざまに時間外に働き、しかも報酬は得られない労働をいうのだが。怒りとは何に対してなのか。直接にそれを強いる会社、あるいは是認する社会風潮なのか。単に苦役としか思えなくなった仕事へなのか。ずるずると引き受けざるを得ない自分自身に対してなのか。

労働基準法を持ち出すまでもなく、問題としてわかっていても、あるいは感じなくなってしまったのかもしれない、経営側としたら、そうした時間外労働をあてにするほかない、経営的な大変さを強調するのかもしれない。

働くほうからしたら、異議申し立てをする立場は弱く、職場全体で意思表示できるだけの労働組合もないのかもしれない。

サービス労働は修行として当たり前のこと、あるいは上を目指すためのひと時のこと、さらには自分自身を鍛えるための納得済みのこと、そんなふうに考えることもありえる。でも、それが同じ職場の仲間や、同じような境遇の働く人々へ、無言の圧力になってはいないか。

理不尽なことに対して抗すること、そうした人たちは昔からいたし、今に到る世の中に続いていると思う。その一つに被爆者がいる。被爆直後には何の情報も得られず、重なる発病を恐れ、命を永らえること自体が困難だった。原爆を投下した側から、自分自身からも無言を強いられ、同国民からさえ差別を受けた。でも数年後には自ら被爆の意味を問い、それが人類的な理不尽なことと悟り、生き残った者としての責務や残された生を見つめつつ核兵器の廃絶、平和を求める道へ立ち上がってきた。

そうした被爆者の一人、谷口稜曄さんと英国人との奇跡的な出会いと交友を描いた映画「長崎の郵便配達」(The Postman from Nagasaki)を観た。静かな、そして燃えるような思いを語ってこられた人々に思いを馳せる…。