#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

美しい夕景の果ては…

7月8日(金)、奈良の路上で安部元首相が銃撃を受け、間もなく亡くなった。銃があふれかえるほどのアメリカならまだしも、比較的にも平和であったはずの日本で、手製の武器を作った一青年から銃口を向けられたのだった。

選挙の投票日を間近に控えた最終盤の出来事で、多くの人々の投票行動に影響を与えたことは否定できない。11日に全体の開票結果が明らかになったが、保守陣営の大幅な議席増という結果になった。青年の行動は断じて許されないことだったが、それをどのようにうけとめ、どのような行動に移すかは個々人の自由である。

しかし、その出来事以前には、数々の社会不安が渦巻いていたはず。ウクライナ戦争、経済不安、コロナパンデミックなどなど、加えて8日のこと。ある著名な方が亡くなると、弔意を示すことは自然な気持ちのあらわれだが、生前の問題(と思われていた)はご破算にしてしまう。日本特有の心情なのだろうか。”判官びいき”という言葉がある。

意味するところは(義経の時代の出来事にことよせて)、

第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」

そんな心理現象らしい。英語では調べてみると、"Sympathy for the weak"。直訳すれば弱点への共感といったところでしょうか。投票という国民にとって唯一といっていい参政行動と、政治にどうあってほしいのか、世の中をどうしたいのか、冷静な判断を切りはなしてしまうことは、自分から権利を捨ててしまうように思えてしかたがない。

今が夕方なのか、夜明けなのか…。