#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

山寺を登りきれたよ

ちょっと前からチビちゃんと旅をするのもいいな、と思いつつ時間ばかり過ぎていくのをボーっと眺めていた毎日だった。でも家族にせかされ、本人も乗り気のようで、本気で飛行機やレンタカー、ホテルを調べ、手配し、スケジュールをプランしました。だって一緒に旅するって、そうそうできることでもないだろう、と。

行き先は東北日本。あの大震災の数年後、旅してまわったことがある。親族に会うことと、そして災害の様子を自分の眼で確かめたかった…。三陸の海岸沿いには復興の重機が縦横に動き回り、土砂を積んだトラックが何台も通っていた。まだまだ人々の安心して帰られる環境にはほど遠かった、そんな記憶があります。

今回は異常な暑さが残るも、東北ではもう初秋の気配が来ているのでは、と期待しながら仙台空港に降り立ったのでした。時間に縛られることなくまわれるだろうと、車を借り、宮城の県境に近い岩手へ。翌日は隣の山形へ。

そこでは、メインプログラムとして「山寺」を登る!企画が。なにしろ1,070もの石段をのぼり頂上の奥の院まで登らなければたどり着けない。はたしてチビちゃんは行けるかな、と少々心配し、奥の手で、「登って降りたら玉こんにゃくを食べよう」と約束したのでした。山形名物で、店頭で鍋にぐつぐつとコンニャクを煮ながら、串にさしたものを販売しているのです。

若いひとや高齢者の一団、外国人も少なくない。ふうふうしながら一段、また一段と登っていく。チビちゃんは音を上げることもなく、元気だねー、と参拝者のお褒めの声を頂きながら、なんと登り切りました。背中はいっぱい汗をかきながら、展望の社からの絶景をしばし満喫。帰りは約束通りに玉こんにゃくを買ってもらい、車まで大事に抱えていました。

松尾芭蕉の「閑けさや・・・」の趣には季節外れで、蝉の声は聞こえなかったものの、登れたという充実感は何物にも換えがたいものでした。

 

平和、命そして信頼

昨夜、テレビのスイッチを押したらNHKの番組「クローズアップ現代」がやっていた。すでに終わりごろではあったが、桑子さんがロバート・キャンベル氏にインタビューしていて、ちょっと気になって見入ってしまった。

氏は日本文学研究者だが、ウクライナを訪問し直接に戦争の惨禍を目にしてこられたそうで、オスタファ・スリヴィンスキという詩人が戦時下のウクライナで市民から聴きとった言葉を集め『戦争語彙集』として出版されたものを更に邦訳し、今秋の刊行予定という。

今日のウクライナの状況ならではの詩として紹介していた。例えば、”爆撃下でシャワーを使ってはならない・・・・泡だらけのケツの戦死者になるから”など、面白くもありながら悲惨さを感じずをいられないものだ。

そして氏は、戦時下のウクライナで人々が何よりも欲しているのは、あいまいな「平和」という言葉ではなく、何より”命”であり”生きる”ということなんですよねーーと。

ウクライナはロシアに比べぶあまりに小国というイメージがあるものの、日本より大きく、日本全体の面積にさらに本州分を加えた広さに、4500万人が住む国だ。日本のおよそ三分の一ほど。絶えず爆撃の恐怖にさらされ、さらに核兵器の脅しにあっている。欧州一の原発も抱えているし、たとえ小型核兵器といえども威力は広島、長崎の例の比ではない。つまりヨーロッパ全体、地球規模の影響は容易に予測できる。

ー翌くる明朝3時54分、それまでの音楽番組が途切れ、ラジオからいきなり”Jアラート”の知らせが流れてきた。北朝鮮から飛行物体が発射され、日本の上空を飛ぶというもの。対象地域は沖縄地方というものの全国を非常事態として「危険だ」と放送した。テレビでは宮古島や東京のPAC3の様子を流して、迎撃態勢をとっているかのよう。さいわい4時7分には防衛省の発表として4時ころには太平洋上空に達しているとのこと。

そして弾道ミサイルではなく、衛星ロケットで、多段式なので部品落下の恐れもあるから、何かあったら知らせるように、とのことだった。それも以前から通告されていた由。放送は30分以上、延々と繰り返し、まるで日本も戦時かと思わせるような口調にうんざりさせられた。

そういえば日本もロケット発射を何度となく行い、失敗も繰り返している。それも用途として軍事偵察衛星との話もあるくらい。これは落下の危険はないのだろうか。そしてどこかの国から迎撃される恐れはないのだろうか。平和ボケと非難されるのかもしれないけれど、口調に時勢におもねるようなアンフェアさを感じるまでの感性はもちあわせているつもり…。「信頼」という言葉があまりにも欠落しそうな日本で。

 

ある日、忍野の里で

梅雨明けの情報が各地でちらほら聞かれたこの時期、富士山麓の忍野の里へ行く機会があった。さいわい雨にはあわず、朝方は高地のためか、さわやかな空気を味わうことができた。

すこし車をころがし、河口湖へ向かう。山中湖とはまた一味違い、湖岸にはいろんな店が並び、多くの、とりわけ若い層の人々が大勢行き交っていた。といっても会話の声は韓国語、中国語が多い。コロナ明けでの賑わいで、それはそれでインバウンド観光収入増につながり、いろんな店の元気にもつながっていることで、喜ばしい。

とはいえ、小道でゆずりあうにも、写真をとりあうにも、習慣や文化の違いを感じてしまい、すこし疲れを覚えた。レイクサイドの散策から、「ハナテラス」のカフェに憩いを求めた。照り付ける日差しは強く、遠慮なく体力を奪う。

このエリアはそう広くもないけれど、木立と小径とカフェやら雑貨店やら上手に配置され、若いカップルはもちろん海外観光客にも知られているらしい。アイスをほおばりながら窓外の行き交う人々をながめ、リラックスタイムを満喫。

ちょうどお昼時なので、しばし思案の結果、ステイ先に戻って手打ち蕎麦の「天翔庵」へ。ひっきりなしに訪れる客の列へ加わり、ようやくおひるにありつきました。有名店なのだそうですが、なるほど値段も相応に設定されており、評価は各自、分かれたようです。

写真は、そのすぐ近く、骨董と喫茶の店「里庵」さんの店先で。朝、訪れたところ、あいにく出店にお出かけでお留守のため、からぶったところでした。素敵なお庭でした。

かわいいお地蔵さんは野にあって、何を思うのか。人々の苦難を救うがため…。

 

向日葵が語るもの

♫西から昇ったお日様が 東へしィず~む…♫ 

天才バカボンよろしく、近所のひまわり街道の花たちは日が沈むと東を向いてしまう。明朝の日の出を待つかのように。(この道は、春には菜の花が咲き乱れ、夏にはひまわり、そして秋にはコスモスと季節感たっぷりに彩られる。たぶんボランティアの方かと思われる男性が雑草を抜いたり、耕して施肥し苗を植えておられるのだ。膨大な作業を黙々と…。わが家では勝手に○○街道と名付けています)

「ひまわり」といえば、ソフィア・ローレンマルチェロ・マストロヤンニのかつての映画を思い出してしまう。第二次大戦時、戦線で行方の知れない夫を、結婚間もなく引き裂かれたソフィア・ローレンが戦争終結後、はるばるイタリアからソ連領内へと探し求めていくその先には、ひまわりの花が広大な海のように咲いていた。そして何とも言えないもの悲しいメロデイとともに。

この映画ではひまわりの花と、もう一つ印象的なシーンが忘れられない。戦地の雪原の中で記憶を失い倒れていたマルチェロをロシアの少女が自分の家へと引きずっていく、なんとも力強いものと思った。

気になって調べてみると、なんとそのロケ先はウクライナドニエプル川の近くらしい。当時のソ連ウクライナの悲惨な関係の歴史も忘れてはいけない。

話は変わって、最近、ロシアのメドヴェージェフ前大統領がとんでもないことを言い出している。「このウクライナ戦争は(核兵器で)広島と長崎と同じようになれば、すぐ終わる」 この彼はプーチンと首相と大統領の座を何度も入れ替わっている。つまり同じような人格と思えば間違いない。

福島の原発災害後、放射能をひまわりが吸収してくれる、という話があった。としてもそのひまわりの処理をどうするか、という問題が堂々巡りしてしまうのだが…。かの前大統領が、核兵器の使用後の世界まで想像しているとは思えない。麦も育たない荒野に向日葵だけが咲き誇っているような世界は許せないものと思う。

 

明日も晴れるかな

中国では2016年、かつての一人っ子政策から転換して複数の子どもを持てるようになったにもかかわらず出生率は低下しているという。おぼつかないまま高齢化社会に向かい、労働力減少、生産力低下にひた走るかもしれない。といっても全世界の華人社会を思えば、その膨大な人口からは、言われているようなことは容易に想像できない。

日本もだいぶん以前からその兆候は指摘されつつも、低賃金政策は変わらず、すなわち将来どころか直近の生活にも追われ、結婚もおぼつかないまま少子化に歯止めがかからない。外国からの労働力輸入にしても劣悪な研修生制度の弊害と入管法の改悪で、どれだけのめどがつけられるやら…。

そんな大所高所の話はともかく、身近な話として、中国どころか日本でも一人っ子家庭が多いのでは、と思う。1プラス1が1(もしくはゼロ)という数式をよしとするかどうか。単純計算でもその答えは容易にわかる。

産むか産まないかは当事者の考えであり、判断することだ。また産もうにも、思うにまかせない苦しみは間近にあってひとごとではない。問題は結婚したい、子どもがほしい、安心して家庭をもちたいという願いを、この社会が保障できるかどうかという話。

まして「富国強兵」のため、お国のために「産めよ、増やせよ」とはとんでもない、当事者意識を持ちえない年寄りの戯言でしかない。

子どもや孫など、自分以外の将来世代にとって気候変動、環境問題は本当に切実な問題になるといわれる。そして「若い世代」の声も日増しに大きくなりつつある。しかし多くの世間(企業社会)にあってはSDGsはビジネスチャンスでしかない。原発しかり…。

「我亡きあとに洪水はきたれ」という無責任の極みから決別し、何がしか自分のできることは何かを考えたい。

 

 

 

 

いのちの重さ、って?

五月の初旬、いろいろとお世話になった方が亡くなった。それ以来、頭の中になにか気力やら思考力やらが少なくなったような気がして、何事にも手につかないような毎日だった。

一年余り前のこと、ステージIV=末期での治療にのぞんでいて、週3日病院に通い、治験薬にも挑んでおられました。「癌は大分小さくなっている」と医師にも言われ、治療の効果を信じ、完全復活へと希望を持ち続けておられていたのに…。

遺された奥様から、ご夫妻でともども作られたという一冊の童話集を頂いた。仕事についてはもちろん、社会への関与、諸文化への造詣、とにかくいろんなものごとでの先輩だった。

 ーーそして先日、東区の箱崎を歩いていたとき、小さな看板が目にとまった。コロナワクチンの後遺症に悩む方への無料相談、とのこと。

コロナウイルスもさることながら、ワクチンによる後遺症や死亡の記事が少しずつ出始めている。でも原因特定の基準はあいまい、かつ不十分で、発表される数字をどのくらい信じていいものやら、いったいどのくらいの被害(薬害といえるにはまだまだ時間を要するのかもしれない)なのか皆目わからない。そもそもワクチン開発に際して、問題を含めて公開されず、言ってみれば人類への壮大な治験だったのかもしれない、ともいわれている。

それでも急激な感染に対し、打たないリスクより打つメリットのほうが大きいから、と政府やマスコミ、かかりつけのお医者さん含めて、その効果をいいたててきた。義務ではないにしても、圧倒的な同調圧力にも似て、多くの方がワクチンを接種した。医療関係者など義務にも等しい空気の中で…。

国内に限っても、どのくらい国家予算が投じられ(地方自治体含め)、どんな使われ方をしたのか、決して納得いく発表はされないだろう。ファイザーはじめ薬品産業は巨額の利益を得てきた。

一方、どうしてもコロナに並ぶ大きな出来事、戦争のことを考える。不条理なウクライナへのロシアの侵略、と簡単に言っていいものかどうか。そこでも軍需産業の巨大な暗躍と儲けを想像してしまう。

ともども膨大な命が失われていく。いや、一緒にすることに無理があるのかもしれない。またシンプルに考えることの問題を自覚しなければならない。でも、考えなければいけないことは多々ある、と思う。

 

♫ドン、となった花火が…

 デジャブ…、既視感、そう、いつか見た光景。忘れたりしても、忘れられない、そしてふとした瞬間、頭の片隅によみがえる記憶、映像といった意味だろうか。

 先日の福岡の香椎浜で見た情景だが、不謹慎かもしれないけど、これは難民キャンプじゃないかと思ってしまった。落ちてゆく夕陽をただ茫然と見ている群衆。なすすべもなく時間が過ぎていくほかない…。

 なんのことはない、7時半開始の花火大会にむけて無料席の場所を確保して時間待ちをしているだけ。強風のなか、シートを押さえポリ袋に詰めた砂で固定し、でも全身に砂を浴びながら、みんな始まるのを待ちわびていた。

 でも、ふと「難民キャンプ」ってこんなんじゃすまないだろうな、と思う。自ら食べ物や水を確保することもできず、トイレすらどこにあるのかもわからない。頭上に決まりきった注意事項をうながす放送の声が流れている。今日という日がやっと終わり、明日がほんとに来るのだろうか、不安とほんの少しの安堵感を胸の底にためながら、視る夕陽はなぜか美しい。高層ビルとのなんという対比なのか、またまた不謹慎ながら思いがけず吹き出したくなる。高層住人はどんな生活を送っているんだろう。つい見上げてしまう。

 ぴったり7時半に恒例のご挨拶から始まり、やがて7000発もの花火が上がった。下界には8万人もの観衆が時折、歓声をあげる。6年ぶりという。技術の進歩か、職人さんの飽くなき探求なのか、今まで見たことのない花火も。空いっぱいに広がる大玉も。低い夜空を彩る文字通りの花に似たものも…。季節はずれに思える4月の花火でした。