#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

いのちの重さ、って?

五月の初旬、いろいろとお世話になった方が亡くなった。それ以来、頭の中になにか気力やら思考力やらが少なくなったような気がして、何事にも手につかないような毎日だった。

一年余り前のこと、ステージIV=末期での治療にのぞんでいて、週3日病院に通い、治験薬にも挑んでおられました。「癌は大分小さくなっている」と医師にも言われ、治療の効果を信じ、完全復活へと希望を持ち続けておられていたのに…。

遺された奥様から、ご夫妻でともども作られたという一冊の童話集を頂いた。仕事についてはもちろん、社会への関与、諸文化への造詣、とにかくいろんなものごとでの先輩だった。

 ーーそして先日、東区の箱崎を歩いていたとき、小さな看板が目にとまった。コロナワクチンの後遺症に悩む方への無料相談、とのこと。

コロナウイルスもさることながら、ワクチンによる後遺症や死亡の記事が少しずつ出始めている。でも原因特定の基準はあいまい、かつ不十分で、発表される数字をどのくらい信じていいものやら、いったいどのくらいの被害(薬害といえるにはまだまだ時間を要するのかもしれない)なのか皆目わからない。そもそもワクチン開発に際して、問題を含めて公開されず、言ってみれば人類への壮大な治験だったのかもしれない、ともいわれている。

それでも急激な感染に対し、打たないリスクより打つメリットのほうが大きいから、と政府やマスコミ、かかりつけのお医者さん含めて、その効果をいいたててきた。義務ではないにしても、圧倒的な同調圧力にも似て、多くの方がワクチンを接種した。医療関係者など義務にも等しい空気の中で…。

国内に限っても、どのくらい国家予算が投じられ(地方自治体含め)、どんな使われ方をしたのか、決して納得いく発表はされないだろう。ファイザーはじめ薬品産業は巨額の利益を得てきた。

一方、どうしてもコロナに並ぶ大きな出来事、戦争のことを考える。不条理なウクライナへのロシアの侵略、と簡単に言っていいものかどうか。そこでも軍需産業の巨大な暗躍と儲けを想像してしまう。

ともども膨大な命が失われていく。いや、一緒にすることに無理があるのかもしれない。またシンプルに考えることの問題を自覚しなければならない。でも、考えなければいけないことは多々ある、と思う。