#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

「生きる」とは

”いのち短し 恋せよ乙女…” 夜更けの公園のブランコに揺れながら、ゴンドラの唄を口ずさむ老境の男のシーン。

70年前の黒澤明監督の名作だが、それをノーベル賞作家のカズオ・イシグロがリメーク脚本を担当した、「生きる LIVING」が先月末から上映されている。彼は長崎で生まれたが間もなく両親に連れられ、イギリスで育った。10代の幼い少年がテレビで観て強い感銘を抱いてきた、という。そのことはノーベル賞受賞の際に、「作家として、日本文学より50年代の日本映画に大きな影響をうけた」とのべたことにもうかがえる。

カズオ・イシグロは同映画について語っている。

「生きる」に強く惹かれたのは、自分自身にとっての勝利の感覚をもつことが大切だというメッセージです。それはとても質素なものかもしれませんが、少しだけ自分を超えることです」

主人公を演じた名優ビル・ナイも、「自分の人生に意味を与えるものは、誰かのために何かをすることでした」と語っている。

両者も監督や制作スタッフも、時代背景こそ違っても、現代にも通じる普遍的な問い、「生きる」とは何かを映画として丁寧に抑制的に作り上げた。オリジナルでは、癌で余命半年と宣告された主人公が、それまでの自分の世界に閉じた生き方を、ある時を境に死に向かうばかりでなく、意味ある生き方へと劇的に転換させていく。そんなストーリーだったが、カズオ・イシグロは戦後のイギリスに置き換え、自身のオリジナルなものとして作り替えた。そしてもとのオリジナルより希望のある物語にしたかった、という。

政治や経済、国際環境もとかく自分中心な思考に陥りがちな今日、じっくりと考える機会としたい。

シン映画日記『生きる LIVING』|脳髄しねまあんくる@フォロー100%|note

 

花を見るには…

最近いくつかNETFLIXのドラマを見たなかで、「ミスターサンシャイン Mr. Sunshine」24話がとてもよかった。5年ほど前の作品なのだけど、評判どおり、その美しい映像が随所にみられ、それだけでもいいし、粋なセリフがなんともいい。

韓国最後の名家の孫でヒロインの凄腕のスナイパーがつぶやく。「もし私が枯れる定めの花ならば、花火のように咲きたい (If I like a flower destined to wither, I wish for mine to bloom like Fireworks!)」 そして主人公の韓国人だが訳あってアメリカで海兵隊員となった彼がヒロインに向かって言う。

「花を見るには二つの方法がある。花を活けるか、花を見に行くか。私は花を見に(ヒロインに会う、をかけている)出ていきたい  (There are two ways to see flowers, You either put some in a Vase, or set out to meet them along a Path. I'd like to go ...)」

やや年のいったィ・ビョンホンと、花のように美しいキム・テリのラブストーリーといえばそれまでなのだけど、史実に基づいたフィクションというだけあって、1900年前後の韓国がまさに列強国により植民地化されようとしているなかで、義兵として独立に立ち向かう人々の姿に感動を覚えざるをえない。日本人(政府、軍隊、官僚、ヤクザなど)がやや極端に描かれているように思うけど、韓国の人々にとってはまさに残酷な存在に映っていただろうし、事実に基づいているのだろうと思う。約30年間に及ぶ”日韓併合”は大日本帝国大韓帝国に対する植民地化にほかならない。(伊藤博文なんかも出てくるのだ)

フィクションではあるものの、なかなか近代史を学ぶ機会の少ない日本人(特に若い世代)にとって、隣国の、それも日本の歴史に様々な影響をもたらしてきた韓国を知る格好のテキストかなぁ、と思った次第です。

それと、韓国語、日本語、英語のセリフが入り混じって、なかなか興味深い語学の教材になるのじゃないかな。

 

「和解」の朝

新しい一年が始まる日、日の出の時間をあらかじめ調べ、薄暗い早朝に皆そろって起きだし、近くの公園の草広場をめざした。チビちゃんも肌を寒気にさらし目をパッチリ開けている。

すでに大勢の人々が、思い思いの祈念を胸に集まっている。子どもたちは元気だ。犬は飼い主の足元で凛として、やがて太陽が昇るであろう一点を凝視している。お年寄りも連れ合いや家族に支えられ集い、なおも新しい年に思いを巡らしている。

思えば昨年は、なおも続くコロナ禍のなか、2月の下旬に突然始まったロシアのウクライナ侵略に振り回され、世界が混乱した。わが日本もとんでもない方向に行きかねない。すでに危ない橋を渡り始めている、という指摘もある。

おそらく多くの人々が、争いをやめ和解の道を歩みだすことを望んでいるだろう、と思う。発端がどうあれ。だって、あの世界の一点がわが身に、自分たちの生活につながっていることを実感し始めているから。

大きな世界や、二国間のことや、身近な個人の間でも争いは起きる可能性はある。物事は均一ではなく、わずかな違いは綻びとなり、場合によっては争いにまで発展するかもしれないから。そこで終局として「和解」が求められる。

冷静な第三者の裁断で、接点や中間点をさぐり、大事・小事をおいて妥協の道をさぐる。両者は納得できないことではあっても、角突き合わせ互いに睨みあっていた視線を未来に向けなおし、「和解」を受け入れる。そこに残される幼いもの、弱者の痛みはそれぞれの肩に担われる。どのくらいの時間を要するかはわからない。

……予定時間を20分ほど遅れ、やがて顔を出した真新しい太陽に向かって、そんな思考をめぐらしながら旧年中への感謝と、新年の平和と無事を祈って手を合わせた朝でした。

 

命のセンタクだ

年も押し詰まった頃、ちょっとした事情あってコインランドリーにお世話になった。たくさんの洗濯物があって、しかも乾きにくい冬の曇天の毎日。どうしようかと悩んだ先、そうだあそこに持っていこう、と車に詰め込んで持ってきた。

あいにく朝のまだ早い時間にもかかわらず、洗濯機も乾燥機もフルに動いている。出来上がりを待つ客たちが老いも若きもちらほらと。やがて数分で終わるだろう大型洗濯機の前に陣取る。終わったら誰のものとも知らない衣類を常設の籠に入れ、自分たちのものを入れ込む。終わった時間に居合わせないのが悪いのだ…と、ばかりに。

それにしてもコインランドリーとは、英語で"Coin Laundry"なのか。セルフサービスランドリー(Self-Service Laundry)、コインウオッシュ(Coin Wash)などいろんな呼び方があるようだ。

似たような意味合いで、マネーロンダリング(Money Laundering)という言い方がある。こちらは不法なお金などを第三の機関を通すことで、合法な資金に変えてくれるというもの。たぶん、比較的新しく使われた言葉なのだろう、より英語発音に近い表記になっている。オーストラリア(Australia)のように”オウ”と発音する。

汚れた衣類か汚れた金なのか、違いはあるにせよ簡単に洗ってくれて、また本来の役割を持たせてくれて有用のものとなる。

できたらくたびれ切った頭を、悩みや疲れごときれいにしてくれるコインランドリーはないものか。それこそ”命の洗濯”!

つぶやきつつ、近くのコメダコーヒーでモーニングサービスを頼み、ひと時の休憩タイムを楽しみました。

 

子牛はどこに…?

窓辺に外の淡い光を浴びて、一対の牛の置物が飾られている。親子だろう。そばには花瓶に、おそらくマユミと思われる赤い実をつけた枝が活けてある。静かにたたずむそれらを見ていると、ふと”牛に引かれて善光寺”というフレーズが頭に浮かぶ。

日本最古といわれる阿弥陀如来像はインド、中国、百済を経てはるばると信州のこの寺にやってきた。かつては宗派に偏らず、そのせいか多くの市井の人々の信仰の対象となってきた。(今日では天台宗、浄土宗によって護持運営されているとのこと)。そのむかし縁者となるべき地元の方々に案内され、そのご利益にあずかったことがあった。引きも切らない参拝客の数々に驚いた記憶がある。

おなじみのカフェ『ほのか』でくつろいだ翌日、なにげなく新聞をめくっていたら衝撃的な記事があった。絵本の紹介なのだが、子牛が母を訪ねる物語「もうじきたべられるぼく」というので、紹介には「もうすぐ人間に食べられる子牛が、最後に母親に会いに行ったものの、幸せそうなお母さんを悲しませたくないと、声をかけずに去っていく、という話」だとのこと。

立ち去ろうとする子牛を見つけたお母さんが、子牛を追いかけようとする場面もあるとのことだが、そのあまりに不条理で切ない話に、驚かされた。動画アプリで10年間、300万人余りが見て、このたび、絵本化されたとのこと。作者の、はせがわゆうじさんは”命の大切さ”を感じてほしいのだという。

子どもの自死というニュースがあいつぐこの日本。他国ではありえない話であり、牛の世界だけでなく、人間社会の不条理でもある。子どもの存在、命が消費されていく社会。子どもを含む弱者が大切にされる社会こそ普通の国でありたい。

阿弥陀如来の極楽浄土は西方にあり。

辺境の沖縄、南西諸島には基地や武器が次々と据えられ、抗う人々が排除されていってる。同じ日本でありながら、戦場化されていきかねない状況に、異を唱えない本土の人々といわれてもしかたがない。外国の軍隊に引きずられ戦争に行きついたら、沖縄も本土もなく日本全土の問題であるはずなのだが…。同じように弱者の地であり、強い志を継いでいる人々が暮らす沖縄に思いをはせた。平和な神々、浄土が生き続ける島であってほしい。

 

命の選択は可能ですか?

数か月前から楽しみにしていた長崎旅行。でも、あっという間にその機会が訪れました。数家族での団体旅行ですが、乗り物やコースは思い思いに。宿は寺町通コンドミニアムを予約して、みんなで食材やらドリンクやらを持ち込み、夜は宴会といういつものパターンです。

当日は残念ながら雨模様で、ゆっくり観光とはいきませんでしたが、長崎おくんちの時期にあたり、いちばん賑わう浜町アーケードには傘鉾(かさほこ)とそれを取り囲む人々がありました。急転したり、うねったりと回し技には歓声があがります。なにしろ100キロ以上の鉾を一人で操るというのですから驚きです。

華僑が建てたという崇福寺。”おすわさん”で親しまれている諏訪神社の長い階段。長崎歴史文化博物館寺町通に並ぶ寺の数々。400年商店街などなど。初めて訪れるところ、何度か来たはずのところなのですが、新たな感慨を覚えます。

行きは博多駅からノンストップのハイウエーバスでしたが、帰りは出来たばかりの西九州新幹線で。予定時間よりちょっと時間があいたので、早い便に乗り換えできないかと、緑の窓口に交渉に行ったところ、早得割引のチケットなので変更できません、と冷たい返事。自由席が空いてたら乗せてくれてもいいじゃないか、とブツブツ。

1時間半ほどのポッカリあいた時間。何しようかと相談の結果、平和公園に。長崎駅からバスで15分ほど。夕闇迫って足元の歩道にはLED電球が点々と誘導してくれます。こんな間近に平和祈念像に接したことは今までありませんでした。10メートルほどの男性像。右手は原爆投下してくる上空を指し、左手は水平に伸ばして平和な世界を訴えるものです。足元には平和の泉が静かに満ちていました。

すぐ隣には爆心地公園。原爆投下の地点を示しています。おりしもロシアが”低出力核”なるものを使うと威嚇しています。小さな核兵器、戦術核ともいうそうですが、威力は5~数10キロトン(TNT火薬換算)。広島型原爆は約16キロトンなので、決して低出力とも小さいともいえません。核の応酬に到れば世界は滅びます。その危険が目の前にあるのです。一方では死と狂気の世界が、もう一方では核兵器禁止条約の世界が。どちらを選ぶか、選択の余地はないものでは……?

 

足元にはもう秋の気配が

博多の三大祭りといえば春の博多どんたく、夏の博多祇園山笠、そして秋の筥崎宮放生会をさすのだそう。放生会は全国にもみられ、中国由来で「捕らえられた魚や鳥など生き物を野に放し、殺生を戒め、秋の稔りに感謝する」行事といいます。

一般に”ほうじょうえ”と言うようですが、筥崎宮だけ”ほうじょうや”と言います。ちょうど台風が近づいており危ぶまれていましたが、お客さんはなんのその、広い参道沿いにびっしり立ち並ぶ露店の間をたくさんつめかけていました。お化け屋敷も出店していたようで、「台風がきたらお化けがビューって飛んで行っちゃうね」とは、うちのちびちゃんの言葉。

千年以上続く重要な行事だそうで、チャンポンやら新生姜やら売られている品々にもそれなりの歴史があるようです。チャンポンは長崎で有名な麺料理ではなく、吹くと”ちゃんぽん”と音がするビードロ(ガラス)の玩具のことです。

でもどちらかと言えば、7月末の”夏越し祭り”が字面通りに、酷暑を乗り切っていくんだというような趣が個人的には好きです…。なごし・・・

ちょうどこの頃の朝、まだ完全には明けきらない西の空に月が浮かんでいました。残月とも名残の月ともいうそうです。9月の10日が中秋の名月、と聞いてあわてて翌朝の空を見上げたものでしたが、わずか片鱗をみせてくれました。ちなみにこの頃の満月を英語では、Corn Moon (とうもろこし月)とか、Barley Moon(大麦月)と収獲を祝う名づけをしているようです。

なんとなく慌ただしい地上のお祭りと、悠久の空に浮かぶ月の変容。どちらかといえば大自然の移り変わりをお団子とちょっぴりのお酒で味わいたいもの、と思いました。