#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

「散華」を懴悔する

近くのヤマザクラや八重桜がだいぶん咲いています。反対に普通の桜(ソメイヨシノなのかな)はもう散り始めています。川沿いに並んで植えられ、満開に咲くさまはなんとも華やかです。もちろん花が散って葉桜になってもいいものですが。

なぜ川沿いに植えられたかについては、いくつかの理由があるようで。大勢の花見客が土手を踏みしめ丈夫にしてくれること。また根がたくさん張る桜はうってつけだったこと等々。でもあまり踏んでしまうと根が傷んでしまいます。ほどほどにといったところでしょうか。

「散華」という言葉は任侠映画に使われたり、戦時中の特攻機が戦場に散った様をさして、見事に命を散らしたことを賛美するものとして使われてきました。でも本当の意味は、仏教の用語で、「仏に供養するために花を散布すること。声明の一種…。誤って、華と散ると解し、戦死を指していう」(広辞苑)とのこと。

念のため、最後の誤った使われ方を英語では何というか、気になって調べてみました。そうすると、"glorious death in battle" "heroic death"などのような表現がありました。文字通り戦争で華々しく死んでいく様を言うようです。亡くなった人々を供養する気持ちはわかりますが、賛美することで死に至らしめたおおもとを免罪することにはなりはしないのか、要注意です。

まさに今、ロシアのウクライナ侵略が起こっているとき、便乗して大手を振って大声をまき散らす向きもあるだけに…。