#香椎台 木もれ日日記

香椎宮の森の木陰で、広い空をながめながら日々の思いを綴ります

言葉と世界と感性、そして暮らし方

それは突然始まる。何気ない話をしながら食事しているとき、チビちゃんが「しりとりしよう!」と言い出す。ほんの数週間前にスタートしたシリトリ。最初はやり方もわからず、「イヌ」の次は?、というと「ワンワン」とか数語で行き詰まっていたのが、ほとんどつなげられるようになった(彼女の暮らしている世界に限られるが)。

そんな彼女が保育園で、ふだん仲の良い友達に、「アンタ」の一言で泣かせたという。めったに泣くこともなかったという子が、どんな状況でそうなったか詳細はわからない。チビちゃんがよほど威圧的に言ったのか、その子がその一言で連鎖される悲しみにつながったのか…。

喉が渇いて「ミズ」と言っても、それだけではわからないよ、と返すと「ミズチョーダイ」と言う。「水ください」でしょ、と教えるとわかってくる。でも、どんなイントネーションなのかで違ってくるのが言葉というもの。英語の"Please"も命令形にも依頼にも丁寧にも、言い方ひとつで変化する。ヒステリー、暴言等々は相対する人に、その関係性において感情をぶつけること。甘えとして許されるかどうか、互いにそれらの言葉で喚起される世界をどう共有できるものなのか。

ほんの数年間しか生きていないチビちゃんたちの世界。その時々の環境で身につけ、発する言葉が違ってくる。臨機応変もいいとこ、すっかり感心させられる。大人の自分たちの貧しい言葉遣いを反省できるかどうか、ジッと見つめられる暮らし方を意識的に律することができるかどうか、問われているのかもしれない。